京都東寺の立体曼荼羅より - RINZAI -

 

 

【東寺の立体曼荼羅について】
日本最古の密教寺院・京都の東寺。
そこに息づくのが、空海(弘法大師)が構想したとされる「立体曼荼羅」です。

21体の仏像群が、三次元空間に曼荼羅の世界をそのまま立ち上げたかのように配置され、それぞれが宇宙の原理や生命の営みを象徴しています。

中央には「大日如来」。
あらゆる存在の源であり、光そのものであるとされる存在が、静かにすべてを照らします。
その周囲を囲むのは、智慧、慈悲、力、そして守護を体現する仏たち。
一体一体が、異なる役割を持ちながらも、響きあい、全体で一つの調和を生み出しています。

この立体曼荼羅は、ただ「祈る」だけの空間ではありません。
そこに身を置くことで、誰もが宇宙の秩序と、自らの内なる光にふれる体験へと誘われるのです。

 

 

RINZAI — 誕生の物語

かつて私は、
「なぜまだ生きているのだろう?」
そんな感覚を抱えながら日々を生きていました。

パートナーとの関係は平穏で、誰もが羨むような幸せのかたちを手にしていたはずなのに、それでも私は、意識がこの世からわずかにずれた場所にいるような、深い孤独を抱えていたのです。

『死』への恐怖もすでに消え、生きているとも死んでいるともいえない空白地帯に、ただ存在している——
そんな感覚。

ある日、突き動かされるように「明日、京都へ行こう」と思い立ちました。
関東から一人で旅に出るのは、これが初めてのことでした。

翌朝、新幹線に乗り、京都駅に降り立った私は、導かれるようにして東寺へと向かいました。

人気のない静まり返った境内。
食堂で初めての写経に向き合うと、般若心経の言葉がまるで映像として魂に流れ込み、
「一は全、全は一」
「この世に見えるもの、聞こえるもの、触れるもののすべては幻想」
そんな真理を、言葉ではなく、存在そのものとして理解する体験が起こりました。

孤独もまた、私が創り出した幻想だったと、気づいた瞬間でした。

その気づきを胸に講堂へと進むと、立体曼荼羅の中心、大日如来の前で立ち尽くすことになりました。

すると、大日如来の眉間からまばゆい光が私へと降り注ぎ、次の瞬間、私は神聖幾何学で埋め尽くされた空間の中心に、魂ごと置かれていました。

すべてが、完全に、調和していました。

誰とも言葉を交わすことなく、静かな東寺の中を歩き回っていると、弘法大師・空海の像の前にたどり着き、
「高野山に行かねばならない」
という直感を得ます。

帰宅後、家族と共に高野山へ向かいました。
奥の院へと続く道を歩く途中で、法院様に出会い、奥の院で頭の中が真っ白になり、体の奥底から光が溢れ出し吸い込まれていく感覚に襲われました。

「私、今、死ぬのかもしれない」
そう思うほどの力強さでした。

すべてが終わった後、先ほどの法院様が現れ、
「お待ちしておりました」
と一冊の書物を手渡されました。

そこには、
「南無大師遍照金剛」
と記され、香の薫りが長い年月を物語っていました。

それから三年後、沖縄のユタ(霊能者)との出会いがありました。

「これまで八万人以上を鑑定してきましたが、冬佳さんのような方は初めてです。今世でお会いできたこと、誠に光栄です。」

ユタは涙を流しながら、こう続けました。

「普通は守護霊がついているものですが、あなたには守護神がついています。それも八柱、九柱...それ以上。それらは国生みより以前の神々です。こんな存在が降りてきたら、本来、生きてはおれません。よくぞここまで耐えてこられましたね。そして……東寺で、何かを授かりませんでしたか?」

——あの日、大日如来から降り注いだ光。
——神聖幾何学に満たされた世界。

あれは、贈り物だったのだと、ようやく理解した瞬間でした。

その神聖幾何学を、ジュエリーとして形にしたもの。
それが『RINZAI』です。

この地上に存在しながら、魂の本質である光へと帰還するために。このジュエリーは、目に見えぬ中心点と、宇宙の調和を、静かに、しかし確かに宿しています。

 

© 2025 Powered by AFFINGER5